この前、クレヨンハウスに行ったときに、長新太さんの原画展(「にゅるぺろりん」の原画)を開催していまして、じっくり拝見してきました。
なんというか、そのまんま、長新太さんの絵本の絵って感じでした。原画の筆遣いは、やっぱりどうしたとかこうしたとか、そういう感想はでないです。一言でいえば、「ふーん、これが原画ね」って感じ。そういう意味では、印刷技術って発達しているんですねぇ。
「ないた」という絵本は、上の子へのクリスマスプレゼントとして、かみさんがあげた本で、もとい、サンタクロースがうちの上の子のために、クリスマスに北極圏から運んできて、ご苦労なことに世田谷の我が家の枕元に夜中に置いていった絵本です。タダで。
でも、こういう絵本をクリスマスにプレゼントするのも、ちょっとどうかと思いますけど、うちのかみさん、じゃなくてサンタさん。まあ、うちの子泣き虫ですから、絵本の内容を、反面教師的に受け止めて成長して欲しいって狙いなんでしょうけど。本人も自覚しているようで、プレゼントもらったとき、黙ってましたけど、「サンタさん、なんで泣き虫なのしってんだろう?」って感じで、ちょっとブルー入ってましたよ。
とはいっても、絵本としては大変面白い本で、子どもが泣いている場面での細かい描写が楽しいです。巨大な犬の絵なんか、違和感がありつつ、とても分かりやすい場面です。
中ほどに出てくる麦畑の絵は、なんだかゴッホの絵を思い出させるような絵で、左上の雷の稲光なんかが、非常に効果的。と思っていたら、下の子が破った箇所を補強した跡が、稲光に見えただけでした。稲光はオリジナルです、うちで所蔵の絵本の。
数々の「ないた」場面を並べている前半に比べて、後半は、泣くことに関する子どもながらの観察と考察という感じで、少し切り口が違ってきます。
特に「せんそうで、いえをやかれて ないているこどもを、てれびでみた。」という場面なんかがすぅっと入ってきて、何だかいいですね。大人が涙を流す意味も含めて、泣くことの意味を考えるお話になっています。
最後の「いちにち いっかいは ないている」とか「ぼくも おとなになったらなかなくなるんだろうか。」というのは、とっても共感します。私も泣き虫だったし、今でも泣き虫ですから。
確かに、子どものときに比べて泣かなくなったと思います(当たり前だ)ので、この絵本の坊やにも、「そうだよ。大人になったら君も泣かなくなるよ」と言ってあげたくなります。しかし、転んで泣くとか、人とはぐれて泣くとか、悔しくてなくとかは、日常的にはなくなりましたけど、私なんかは、大人になってからも結構泣いているという感じがします。
少なくとも、親が死んだときしか泣かないという感じではない。ちなみに、父親が死んだときには泣きませんでしたけど、1月経ってからオヤジを思い出していたら、ポロッと涙が出てきました。面白いものです。
うちの子は、どんな感想をもっているのだろう。聞いてみたいですが、まだ聞いていません。もらった時の経過はともかく、けっこう楽しんで読んでいます。好きな絵本の一つになっています。ええ、いまだに全然、泣き虫のままです。下の子は、表紙の裏なんかにある、落書き程度に書いてある泣き顔が好きなようで、読むたびに指差して喜んでます。
長新太さんの絵って、とても面白いですよね。この絵本でも、最初の方に出てくる猫の表情なんか、最高です。すごい意地悪そうで。
私、実は長新太さんの絵の特徴、タッチなどはあまり好きではないんです。でも、この人の絵本は目が離せないというか、インパクトありすぎ。
この絵本では、主人公の想像上ですが、お父さんが泣いている場面があります。この絵、お父さん泣きすぎです。長新太さんの絵、誇張しすぎです。お父さんは、こんな風には泣きません。たぶん。
泣き虫の子に、是非読んであげてください。効果のほどは、ちっともわかりません。